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Mac.

「残りの人生も砂糖水を売ることに費やしたいか。
 それとも世界を変えるチャンスが欲しいか。」
           ースティーブ・ジョブス

*  *  *

かつて私が配属されていたEthiopian Tourist Trading Enterpriseの
Design Section には、日本の支援で購入された古いMacがあった。
おそらく当時にしてはかなり高価なものだったと思うが
それはカギのかかった部屋にあって、埃をかぶっていた。
イラストレーターとかフォトショップとか、他にも色々入っていたけれど
(2.0とかそんなやつ。もちろん全部正規のパッケージ)
誰も使い方を知らなくて、
製図はすべて手書きで一つでも訂正があれば一からすべて書き直し。
「せっかくいいマシンがあるのだから、それを有効利用させよう。」
私のエチオピアでの仕事は、スタッフにMacの使い方を教えるところからはじまった。

起動の仕方、線の描き方、コピー&ペースト。
はじめてみると、それは意外と難しい仕事だった。
色の塗り方を教えようと思ったら、それ以前の問題として
<オレンジはマゼンタとイエローを混ぜればできる>
という恐らく日本人なら専門家ではなくてもたいてい想像がつくようなことが
エチオピア人にとっては難しいのだということが判明し、
ショックを受けたことを今でもよく覚えている。

それでも、もともとのモチベーションの高さも手伝い
何人かの人は簡単な製図くらいならできるようになった。

とはいえ、その後もMacを配属先以外で目にすることはほとんどなかった。
エチオピアでもICT4Dが注目されてはじめた時期と重なっていたこともあり、
学校や企業などでWindowsはそれなりに見かけるようになっていたが、
Macは、販売店はもとより、修理してくれるところもほとんどなかった。

ところが、昨年、6年ぶりにエチオピアを訪れると、広告産業が急成長中で
デザイン事務所や広告代理店にMacが何台も導入されていて驚いた。
エチオピアで唯一アートコースがあるアディスアベバ大学にも、
10台近いiMacがあって学生達がなにやら作業をしていた。
「エチオピアでMacってまだ珍しいしメンテナンスも大変でしょ、どうしてMacなの?」
と講師の一人に尋ねたら
「やっぱりクリエイティブに携わる人間はクリエイティブな道具が必要でしょ」と。
そこに、単なる海外品への憧れではない、ブランドへの強い共感や敬意を感じた。
エチオピアのような国で、そのような感情を見たことがそれまであまりなかったので、
(トヨタはすごいみたいな単純な憧れにはたくさん出会ったけど)
私はとても興味を覚えた。

かくいう私も、かれこれ15年以上に渡るMacユーザーだ。
途中でWinに乗り換えようかと思ったこともあったけれど、
ベージュ、ボンダイブルー、ホワイト、シルバーとイロイロイロと色を変えながら
結局今この瞬間もMacを使っている。
といってもいわゆる林檎信者だったわけではなくて
仕事の都合とか(昔は互換性が低かった)、winに変えたらアプリケーションも買い替えなきゃいけないのが嫌だったとか、友達もMacユーザーがほとんどだったからなんとなくとかという程度の理由なのだけど
やっぱり根底には、ヒリヒリするほどにイノベイティブであることを追求し続けた
Appleへの共感や敬意があったと思う。
(そうじゃない感情がわき上がることも時にはあったけど…)

私もそんなふうに強く共感されるような世界観を作っていきたい。
ただファッショナブルなだけのブランドではなく
本当に世界を変えてしまうような、そんなブランドを作りたい。

今、改めてそう思う。

R.I.P. S


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英語

私が子供の頃海外に住んでいた話をすると、
だから英語が話せるんだねというようなことをよく言われるのだけれど
実は当時、英語は全く話せなかった。
英語圏ではなかったし、通っていたのは日本人学校だったのだ。
本格的に勉強しようと思ったのは社会に出て、1、2年たったころだった。
きっかけは一人旅。
現地での一期一会が楽しくて、
もっと世界中の人たちとコミュニケーションをとりたいと思うようになった。

薄給だった当時の私に英会話スクールは無理だったので、
平日は問題集をといて、休日はネイティブの人たちと出会う機会を積極的に作った。
はじめのころは本当にひどかったと思う。
受験勉強をあまりまじめにやらなかったせいもあり、語彙は少なく文法はでたらめ。
それでもおもしろがって、話し相手になってくれる外国人の友達が何人かできたりした。

意地悪だったのはむしろ、英語堪能な日本人の方だった。
稀にではあるが、間違いをネタにしたり、
そんな英語でそうやって話しかけられるのがすごいねとか
キミみたいな人もこういうところに来るんだねなんて
笑う人がいたのだ。
初めの頃は、皆の前でからかわれると恥ずかしくて
もうその日は何も話せなくなってしまったりしたけれど
だんだん、そういう意地悪な目で見てるのはごくごく一部の人だけだと気づいて
気にならなくなった。
(何故かきまって年配の男性だった)
亀の歩みながらも少しずつ会話が成り立つようになってきて、
嬉しい気持ちの方が強かったのもあった。

あの時、恥ずかしいからと口をつぐみっぱなしにならなくて本当によかった。

今でも私の英語は完璧とはほど遠い。
それでも自分の気持ちは伝えられるようになって
なんとか仕事もできるようになった。
通じ合いたい気持ちがあるから、これからもきっと下手な英語で話し続ける。

原発問題や政治、世界情勢などについて意見を述べる若者たちの知識不足や誤りを
わざわざ晒し嘲笑したりして、
でも正しい情報を教えるわけでもない大人をネットで見かけて
ふと、当時のことを思い出した。

えりまきと魔法

レザーデザイナーのFさんより、
被災地へ送る毛皮のえりまきを製作するとお聞きし
先日、その現場に少しだけ参加させていただいた。

東京は少しずつ春めいてきたが
東北ではまだまだ厳寒がつづいており
しかもこのえりまきを送る、石巻からさらに奥にはいったところにあるお寺は
インフラが断絶し、支援物資もほとんど入ってきていないとのこと。

着いてみると、Fさんの心意気に賛同した方々が
他にもたくさん来て作業されていた。
20110402_neckfurproj_by_primitivemodern_01_610.jpg

私も微力ながらお手伝い。
レザーに毛皮を縫い付ける。
実をいうと自分自身は普段製作をしないので、まったくもって上手ではない。
邪魔をしてくるふさふさたちをかき分けながらちくちくちく…
05.jpg

Fさんのご友人であり韓国料理の先生をされていらっしゃるMさんが
やはりご好意でまかない料理を作ってくださっていたのだが、
それがとても美味しくて、
つまんでは作業に戻り、作業をしながらまたつまみ…
気がつけば深夜に。
まかない

出来上がったえりまきはたよりないほど軽くて
でも首にまくとふわふわやさしく、とてもあたたかかった。
完成

毛皮なんて、支援物資としては不適切という人もいるかもしれない。
今はもっと別のものをより多くの人に届けるべきだという意見もあるかもしれない。
私もそれを否定はしない。
でも、この美しいえりまきには暖かさ以上の力があると思う。

私はずっとコスメやジュエリーをふくめ、ファッションに携わる仕事をしてきた。
そしてそれらを身にまとった方が前向きになったり、
笑顔になったりする場面をたくさん目にしてきた。
ファッションには理屈では説明できない、魔法みたいな力があると知っている。
このえりまきにも秘められているその魔法の力が被災地の方々に届きますように…
作業をしながらそんなことを考えた。

最後に、すてきな機会を作ってくださったFさんに心からお礼を。
Fさんのブランド、PRIMITIVE MODERNのサイトはこちらからどうぞ。

ソーシャルネットワーク時代、シャークアイランド新聞時代

この震災がおきて数日もたたない内に
エチオピア、ガーナ、アメリカ、ネパール…様々な国に住む友人から
安否を気遣うメールやメッセージがきた。
また、フェイスブックやツイッターなどを通じて、
海外で行われているチャリティイベントなどのアクションを、
遠いどこかからきたニュースではなく親しい人の体験として知ることができた。
世界がつながっているのだと、心暖まると同時に、
こんなこと、自分が子供のときには考えられなかったなあと改めて思う。

私の物心ついた頃から中学生になってイランで一緒にはじめるまでの10年近く
父とは、日本と海外ずっと離れて住んでいた。
あの頃はまだネットが普及していなくて
母や妹と一緒に、よく手紙を書いたものだ。

時には手紙に添えて、模造紙で作った手製新聞を送ることもあった。
その名も「シャークアイランド 新聞」。
今にしてみればまあどうかと思うネーミングセンスだが(笑)、
見出しも、家族の近況をまとめた記事も、落ちのない4コマ漫画も
本物の新聞のレイアウトをまねして一生懸命作っていたのを覚えている。
ポータブルカセットレコーダーを買ってもらって、意気揚々と”突撃取材”もしたりした。
といってもお相手はいつも母や祖父母、話題も日常の瑣末ばかり、
実際は突撃どころかさぞかし微笑ましい光景だったことだろう。

父は筆まめではなかったから、返信はさほど頻繁ではなかったが
たまに送られてくる絵はがきからは見知らぬ世界の匂いがして
いつもドキドキしていた。
私の旅好きの原点はその辺にあるかもしれないと、振り返って思う。

そんなわけで、インターネットがなかった時代もそれなりに
楽しかったような気もするが
当時、父の赴任先は北アフリカや中近東など情勢不安な国ばかりだったので
母の方は内心気をもんでいたことだろう。
今は遠く離れている人とも、文字通り瞬時につながることができるのだから
やはり便利である。

この大震災と津波で命を落とされた方々の魂が安らかな眠りにつけますように。
被災地で今も厳しい生活を余儀なくされている方々が
一日も早く暖房や暖かい食事のある生活を取り戻せますように。

・・・

3月11日の地震発生から現在まで
これまで以上に深く自分の中の階段を降りて、
本当に自分がやりたいこと、やらなくてはいけないこと、
本当に大切なものなどについて思いをめぐらせていた。

きっと多くの方が同じように深く思いをめぐらせていたのだろう。
この東日本大震災は、ニュースを目にするたびに心臓をおろし金でガリガリ削られるような気分になるほどの大惨禍となった(しかも今も続いている…)が、
一方で、日本が新しい価値観を持った新しい世界へと生まれ変わるための
芽もまたたくさん生まれているのだと、
ネットやラジオや友人たちとの会話の中から実感している。

その芽を育てるのは並大抵ではないだろうけれど、
それを途中で放り投げることなく大切に育てていくことが、
自分たちの世代の使命なのかもしれない。

両親や、その世代の多くの方々が
戦争で壊滅的になった日本を復興してくれたように、

今度は物質的な豊かさだけではなく、
心の豊かさや幸せを感じられる世界目指して。

だから絶望なんてしていられない。
誰かのせいにしたり、何かに依存したり、
自粛して、一人で被災地のことを考えて落ち込だりもしていられない。
それより働いたり、友人と楽しくおしゃべりをしたり、
今を精一杯生きよう。
この惨禍で命を落とされた方々の分まで。

普段の自分ならわざわざ表には出さないような言葉だけれど、
復興が一段落する5年後や10年後もこの気持ちを忘れることがないように
あえて、今の気持ちをここに残す。

・・・

0311キリマンジャロ4
2002年に訪れた、キリマンジャロでの一枚。
前年の大規模な山火事のあと、しばらく何も生えないだろうと地元では思われていたそうだが(ガイドさんの話)、私が訪れたときには、煙で焦げてカラカラになった植物のそのすぐ足下で新緑が芽吹いていた。
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Author:hiroko
株式会社andu amet代表

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